2014年 09月 09日
*メンタル面のこと①* |
眠れないので精神疾患だと自覚したときのことを振り返ってみます。
小さな頃から周囲の顔色を伺って日々を過ごしていたことを今でも覚えています。
とくに両親の機嫌を損ねないように、両親の望むような行動をするように、周囲への過剰な気遣いと成績維持をしていました。
小学3年生のときにはすでに死ぬことについて考えていました。
もともと内向的な子どもだった私ですが、行動として現れ始めたのは小学5年生の初冬頃でした。
いろいろな我慢と頑張りの限界がきたのか、リストカットをするようになりました。
小さな頃から体は弱かったので体調不良という面ではまったく自覚がありませんでした。
リストカットをするようになってから初めて自分が何か限界なんだという自覚を持ちました。
毎日毎日死に対して思いを馳せて、でもまだ死ぬ勇気もなくて、リストカットをすることで死にたがってる自分は1度死んだ、リセットされたというように意識の切り替えをしていました。
長袖を着るシーズンだったということもあり、両親にもリストカットを知られることなく進級し6年生になりました。
その年度から私の通う小学校にも週に一度スクールカウンセラーが来るようになりました。
春の身体測定で養護教諭の先生にリストカットを知られ、スクールカウンセラーと話すことを勧められました。
何度か話はしましたが特に何かが改善されるようなこともなく、日々は過ぎて小学校卒業となりました。
ほとんど持ち上がりで中学校に入学すると、私は吹奏楽部に入部しました。
しかし人間関係が苦手な私は数ヶ月すると相談室登校のような状態になっていました。
他の小学校から来たクラスメイト、部活の先輩、教科ごとの先生、いろいろな人との関わりが増えたことで一気にストレスを感じたんでしょう。
部活にもほとんど出られなくなっていました。
2年生に上がってからは頑張って教室に行き、部活も出るようにしていました。
ただ2年生になってからリストカットの悪化、もともと寝つき悪かったものが不眠症になり、精神的にも肉体的にもぐったりで、週に1回程度は保健室もしくは相談室で過ごしていました。
2年生に上がったときに小学校のときの養護教諭の先生が赴任してきました。
先生はずっと気にかけてくれてたようで、私の母に精神科の受診を勧めて、説得をしてくれました。
精神的なものに理解のない両親なので、説得も大変だったと思います。
渋々という感じで母は近くの総合病院の精神科に連れて行ってくれました。
不眠症とリストカットを投薬治療で、精神的なものを病院内のカウンセラーと話すという形でしばらく通いました。
不安定なときは待ち時間にもリストカットをしていました。
でも、もともと否定的な母だったので次第に病院に行かなくなり、その後まったく行かなくなりました。
ここで一旦精神科での治療はストップしました。
今になって冷静に振り返れば、顔色を伺わなければいけない両親が、私にとっての1番の原因だったんですね。
続きを書くときに高校生〜通院治療を再開するまでを書こうと思います。
by snz0802
| 2014-09-09 01:08
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